次世代

18歳の僕が考える、「自己理念」と「地域活性化」

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高校生の僕が問いかけたいこと

 皆さんに1つ問いかけたい。『あなた』の存在とは何だろうか。この『あなた』は特定の人を指すことを除くと目に見えない存在である。では、この『あなた』は何によって形成されているのだろうか。

 私は『あなた』は『自己理念や価値観』によって形成されていると考えている。しかし、この『自己理念や価値観』も目に見えるものではない。では、これらは何によって形成されているのだろうか。また、『地域活性化』とは何なのか。

「点」から「線」、そして「面」へ。

 ここでスティーブ・ジョブズの“点”と“線”の有名なプレゼンをヒントに説明する。人は日々生きている限り様々な知識や気づきが“点”となって生成されていく。この“点”と他方の“点”との間に何かしらの共通点を見出し結ばれて“線”いわゆる経験を形成する。そしてこの“線”が集まり広がって“平面”になる。そしてこの“平面”に厚みができて“立体”となる。

 これだと分かりづらいので1つ具体例を挙げる。小さい時に遊んだであろうブロックのおもちゃ「LEGO」でお城を作るとする。1ピースだけ手に取って眺めてみてもとても小さく到底お城を想像することには無理がある。

 しかし、他の1ピースを繋げると最初より大きくなり、また隣に1ピースを繋げると1つの“線”のように見える。そして、この“線”を横に広げていくとお城の土台が出来上がり、上から見ると1つの“平面”が出来上がっている。そして、“平面”を積み重ねていくと“立体”となり、形を整えることでお城が完成する。

 また、LEGOの1ピースごとに“色”や“形”が違うが、それらの違いを活かしてお城というイメージに基づいて組み立てていく。これは、人が経験した様々な“点”がそれぞれ無関係のように思っていても、たくさん知識や気づきがあればあるほどそれらが突発的に繋がることで、可能性が増え経験値が高くなっていくことに似ている。

 たくさんの“点”の集合が“線”となり“平面”となり“立体”となる。これは数学の積分の概念と似ており、自己を形成する立体は点の集合による積分の概念によって成り立つもの。逆に立体を微分すれば自己の成長の変化率が伺える。

 そして、この“立体”には“軸”があり、私はこの軸を“人生の主軸”いわゆる「自己理念」と定義している。そしてこの自己理念という軸から様々な価値観が形成されて『あなた』という1つの存在となる。

 もしこの自己理念が傾く時すなわち人生の主軸が傾く時、同時に立体全体が傾くので「自分はなぜこんなことやっているんだろう…」と方向性を失う。だからこそ、自己理念を形成してしっかりと地面に根を張るように自律することが大切だと考える。安部小Projectの場合も設立の経緯を紹介したが、もし草取りをしていなければ、もし役場に意見投稿をしていなければ、この活動は始まっていなかったかもしれない。

 1つ1つのこれらの“点”が繋がって安部小Projectという“立体”になったのである。

私の自己理念

   ところで、これだけ述べておいて内田の自己理念は何かという疑問が聞こえるので、私の自己理念を紹介する。私の自己理念は『モノではなく心』である。この自己理念は私の出身地であり在住している安部のことが好きという『地元愛』から生まれたものである。

 私は「安部に育てられた」と自信を持って述べることができる。きっかけは主に2つある。

 1つ目は、私が2,3歳の頃、親と一緒に最寄りの安部駅まで散歩をし、列車に手を振っていた時だ。私は記憶にないが、毎日通っていたこともあり車掌さんに顔と名前を覚えられ「かなとくん、こんにちは」と声をかけられていたそうだ。

 そして、15年経った今でも、列車に乗ると「内田くん、最近調子はどうだぇ?頑張れよ!」と声をかけていただける。ローカル鉄道だからこそ可能なことであって、この些細なコミュニケーションが地域にとって非常に大切である。

 2つ目に、私は小さい時から近所の方々によく声をかけていただいていた。集落に同級生がいないため、下校時は家まで一緒についてきてくださった。私は当時、鉄道が好きで身勝手にその話ばかりしていたが、集落の方々は笑顔に何時間も話にのってくださった。

 今でも「安部小Projectがんばっとるがな!新聞見たぞー!」と声をかけていただける。こういった時に「あぁ、安部に住んでいて良かったな」と感じる。これが『地元愛』である。人とのコミュニケーションによって『地元愛』は育まれるのだろう。

   これらの『地元愛』があったからこそ、私は安部校区に何か貢献したかった。そこで、安部小Projectを設立する前に今の安部校区において何が課題なのかを考えた。つまり、課題設定を最も最初に試みたのである。

地方の本質的な課題は「心の過疎化」

 行政などは地方創生事業などの前提課題に「人口減少問題」「少子高齢化問題」といった社会問題を挙げ、これにより観光地が衰退していると指摘し、これを根本的に解決すれば地域の活気が湧くと述べることが非常に多い。

 鳥取県が人口最少県であることは皆さんご存知の通りである。しかし、この「人口減少」や「少子高齢化」の課題を打開できる可能性は0に近い。ここで、合計特殊出生率(一人の女性が15歳から49歳までに産む子供の数の平均)という1つの指標を見てみる。

 一般的に2.07を下回ると人口が減少するが、1位の沖縄県でさえ1.9であり2.07に届いてない。これで、どう人口を増やすのか。あまりにも無理難題である。人口減少による観光地の衰退といった可視化され単一的に見られる過疎化いわゆる「モノの過疎化」が進むことは以上の数値からしても解決が極めて困難であると考える。

 しかし「鳥取には何もない」といった地元愛のなさ、目に見えない心理的な過疎化いわゆる「心の過疎化」が1番の問題である。世代問わず心が通いコミュニケーションが成され『地元愛』が育まれれば「心の過疎化」は進行しない。「心の過疎化」は地域住民の意識によって止めることができる。

「モノの過疎化」が進んでも「心の過疎化」は進行させない。モノより心を大事にしなさい。これが私の自己理念『モノではなく心』である。私はこの『モノではなく心』という自己理念を基盤に、安部の良さや魅力いわゆる『地元愛』をまずは外部に発信するのではなく同じ中高生に共有したかった

中高生の本当に求めている教育

 そして『地元愛』のある中高生として大人になった時に皆が「あぁ、安部に住んでいて良かったな」と思えるようにしたかった。私が安部小Projectを中高生団体にした理由はそこにある。もし地域活性化をするならば、地域活性化に興味のある多世代の人たちを集めて団体をつくる。

 中高生団体にしたのは、「地域活性化に興味のない子でも、自分たちの興味関心が地元愛の創造そして地域の活性化に間接的に貢献できる」と考えるからだ。

 しかし「地域活性化をしよう!」や「地元愛を育もう!」と言って幼馴染が集まるとは到底思えなかった。実際のところ現在の正式メンバーは16名だが、募集をかけた時点で地域活性化に興味があったのは数名。

 そこで私は「自分たちの『やりたい!』を皆んなでやろうで!」と言って募集をかけた。しかし、それで集まったメンバーは幼馴染と言えど意見がバラバラ…というよりそもそも出なかった。そこで私は、メンバー1人1人に「やりたい!」ことを聞いた。例えば、校舎内で鬼ごっこをしたり、安部校区の映画を作ったり、校庭に雪文字を作ったり。

 そういった「やりたい!」を私は1つずつ着実に実行したのである。代表である私はリーダーとしての資質が求められていた。メンバーそれぞれが勉強や部活、趣味、恋愛など主とするものが異なり、当然ながら人それぞれ好きなことや得意なことは異なる。

 進路指導でもよく耳にする「自分の好きなこと・自分の得意なこと・社会が求めていること」の共通部分を考えなさいという文句。私は活動の内容や順序を決めるにあたりこの文句を大切にした。それから1年、地域活性化に興味のなかったメンバーも自分たちの「やりたい!」ことを学び舎でやってのけたことで、設立当時は消極的だったのが、今では自分たちの中に1つの核が形成され、安部のことについて考察したり、第2回安部っ子夏祭りを後輩たちが「やりたい!」と私に言い、率先して企画内容を考えてくれるようになった。

 正直、設立当時は第1回で終わると思っていた。しかし、それが私の強制ではなく皆なから自発的に行動してくれるようになった。私はこのことが1番嬉しかったのだ。私に「第2回をやりたい!」と伝えてくれた時に後輩に1つ言ったことがある。

 「夏祭りを第1回みたいに納涼祭だって思わんで良いだで。自分たちのやりたいことをやる。楽しむことが1番大切だけ。」と。第1回は“安部”にこだわりをもって各集落に屋台とステージ出演をお願いした。

 第2回も納涼祭ではあるが第1回にはなかった縁日系納涼祭へと変わった。また、第1回は安部小学校を卒業した16名のメンバーのみを運営メンバーとしていた。第2回では後輩たちの提案で近隣の中高10校から私たちの想いに“共感”してくれた中高生37名がスタッフとして集まった。

 1年でここまで成長することに私自身驚いた。これが『地元愛』を育む活動であり私の考える『本質的な教育』である。代表である私が強制しなくとも(強制しては本末転倒である)メンバーの中で小さな小さな核を形成し、それに“共感”したメンバーが1つの目標に向かって探究していく。

 そしてその成果が見えた時に達成感と共に学びが形成される。人生の中では本当に些細なことかもしれない。でも、メンバーにとって何かの始点となり、今後各々で向きと大きさを定めて飛躍してくれることができる場になっているのであれば、設立したことに対して価値を感じ、私にとってこれ以上の嬉しさはない。

 近年、これからは学生がもっと自発的に動く必要があると社会は求めている。しかし、やる気があってもチャレンジしにくい環境にあるのが現状だ。以前、私は鳥取県の高校生が地域について考えるイベントに参加した。その際に、やりたいことがあるがやれないままにいる同級生、何かやりたいけど先生にも家族にも相談できず何をやればいいか分からない同級生などが多くいた。

 私はこのことが非常にもったいないと感じていた。中高生だからこそできること。むしろ、中高生でなければできないことも多いはずだ。「やりたいけどできない!」という悩みに共感でき、少しでも環境を創ることができるのは同じ高校生である私だった。

 保護された環境下であり閉塞的な学校ではなく「やりたい!」をやってのけることができる課外活動としてProjectを設立した。しかし、課外活動として中高生団体を設立した時に見えてきた課題があった。それは、メンバーの課外活動をする上での基礎的な力(私はこの力を「生きる知恵」と定義している)がまだ十分に身についていなかった点である。

「生きる知恵」を身につける

 「生きる知恵」とは社会に出た時に必要になるであろう力、例えば、課題設定能力や表現力(プレゼン力)、対人関係形成能力といったものである。私が在籍する青翔開智中学校・高等学校は開校して6年目で“自分たちで学校を創る”がコンセプトとしてあり、私は中学校3年間を生徒会執行部として学園祭の資金を協賛金として集めたり、プレゼンの技術を身につけたりしてきた。

 私の場合は比較的に開放的(生きる知恵を学ぶことができる環境)な青翔開智で「生きる知恵」を少し学ぶことができた。しかし、このような開放的な環境下でもトラブルがあれば担当顧問が解決してくれ私たちは保護環境にあった。この事実は生徒の負担軽減や学びの場の提供として感謝している。

 しかし、安部小Projectは課外なので違う。運営資金として活用した八頭町補助金は税金の一部でありリスクも高い。責任重大だ。しかし、私はこの「生きる知恵」を生徒会在籍時に少し身につけたことでProjectの運営(補助金申請や行政文書作成など)が非常にスムーズにできた。

 しかし、Projectを運営しようにもメンバーの「生きる知恵」の力には個人差があった。この時に私は学校教育において「生きる知恵」として課外でも活きる力を身につける必要があると感じ、県立高校(特に実業高校)の教員を目指すようになった。

 そして、数学教員を目指す理由は自己理念の形成の仕方の概念が数学の根本的な概念と似ており面白さを感じたこと。そしてこちらのほうが大事だが「生きる知恵」として先ほど挙げた課題設定から検証、結果や打開策に至るプロセスは数学教育によって養われるものと考えるからである。

 1つの固定概念に強く偏り思い込んでしまう垂直的な思考ではなく、様々な可能性を視野に持った平行的な思考で課題解決に取り組もうとする姿勢が大切だと考えている。数学ではこの力を養うことができる。

 課題に取り組む時に代数的または幾何的な別解を考えようと試みること。また、解決したものを他者に共有する時に数式で共感を求めるのか図形的に共感を求めるのか、それとも両方で共感を求めるのか、はたまた統計的手法や他の手法で共感を求めるのか。

 そういった課題解決や表現力を特に数学で養うことができるのではないかと高校2年生の終わりに感じるようになった。数学でなくとも日常の表現の中で人に共感を得ようとしたりする時には同じように必ず考えているはずだ。

 これらの力が「生きる知恵」である。それもあって、安部小Projectは地域活性化をする団体ではなく「生きる知恵」を少しでも養い、何より「やりたい!」をやってのけ「自分これやって楽しい!」という気づきのきっかけになってほしいと考えながら日々模索している。

 私が教員になったとしてもならなかったとしても、子どもたちにそのような経験を自発的にできる環境を私は創りたい。安部小Projectはその第一歩となっている。私はいずれ大学生になったらその大学の地域で、安部小Projectより規模を大きくして、大学の地域の子どもたちが「やりたい!」をやってのけることのできる環境を整えたい。

地域活性化とは起こるもの

   さて、話を地域に進めよう。ところで、地域活性化とはなんだろうか。私はこの地域活性化はあくまで何かあることをした作用によって起きるものであると考えている。

 我々は『地元愛』を育みそれを具現化することを目的に実施した夏祭りが、閉校後に校区行事がなくなった安部校区において間接的に地域活性化に繋がっている。夏祭りを開催したことで400人もの来場者があり「地域の要」である学校にまたコミュニティという場がうまれコミュニケーションが活発になった。

 つまり『地元愛』を育むことのできる環境になったのである。このような点から夏祭りの開催は効果があったと内部評価している。逆に「安部っ子夏祭りをするための安部小Project」では全く意味を成さない。これが集落内の伝統行事などで継続が困難になる理由である。

 自分たちの「やりたい!」ことを自分たちの学び舎でやって地域の方と交流し『地元愛』を育むことが「心の過疎化」を防ぎ、地域の活性化に繋がるものだと私は考える。そして地域に理解(モノ)ではなく共感(心)を得ようと心がけること。皆が「こうしていきたい!」を実現しその成果が出た時こそ、その地域にとって真の地域活性化ができたと言えるのではないだろうか。

変えるのではなく、変わる。

 安部っ子夏祭りを『地元愛』の具現化として実施し、大きな反響を呼び、また翌年も後輩が「やりたい!」といって続いていく。先ほども述べたが、決して夏祭り=納涼祭という等式が成り立つ必要はない。

 夏祭り=ゲーム大会でも良い。夏祭り=お化け屋敷でも良い。自分たちが「やりたい!」ことを自分たちのできる方法で試行錯誤し、失敗を学び、成功を学び、喜び楽しみを学んでいくこと。私はこれを大切にしてほしいと考えている。そうして、“共感”する人が増え「心の過疎化」の進行が止まった時、今に計り知れない地域の活気が湧くのではないだろうか。

 その地域に住む人たちにとって住みやすい地域へと時代とともに自然と変わっていく。変えるのではなく変わるのだ。以前、こんな質問をされたことがある。「内田くんは、安部地区以外の地域活性化にも貢献したいと思いますか?」と。答えは「No」ではないが「No」に近い。理由は2つある。

 まず1つ目に何度も述べているが私が安部小Projectを設立した1番の目的は地域活性化ではないこと。

 2つ目に、先ほども述べたが地域活性化はその地域に住む人たちにとって住みやすい環境へと時代とともに自然と変わっていくことを指すと考えるからである。

 外の者が口出しして“変える”いわゆる再生事業という行為はその地域に住む人にとって本当に住みやすい環境へと変わっていくのか、疑問に思う。以上の2点より限りなくNoに近いのである。しかし、決して今の軸であり、この先私の世界が広がる中で、答えが変わってくることは十分に考えられる。

 ただ、この質問に対して「Yes」だと言わないのは自己理念の『モノではなく心』があるからであると考えている。自己理念を持つことは自分の核の形成であり軸がブレないことに繋がる。

    1つ1つの“点”から“立体”を形成し、自己の人生の主軸をしっかりと持ち「自分はこう考える」としっかりと相手に明示した上で、相手の理念や意見もしっかりと聞くこと。

協調性を大切にするというのは相手に合わせるということではない。
自分の意見を述べて相手の見解を聞く。

自己理念を持つことは『あなた』を形成するだけでなく、生きていく上で「生きる知恵」と同様に必要な存在になるのではないだろうか。

そして、聞きたい。

あなたの自己理念はなんですか?

著者の過去記事

プロフィール

氏名: 内田奏杜


所属:安部小Project


経歴: 平成13年、鳥取県八頭町生まれ。安部保育所、安部小学校を卒業して鳥取市の青翔開智中学校・高等 学校に進学。平成30年に中高生団体『安部小Project』を設立し、令和元年に『SustainableGame』 に所属。自己理念『モノではなく心』を胸に『子どもたちの“学び場”を創る』という未来像を達成す るため日々奮闘中

連絡先:k.uchida.14124@gmail.com

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