はじめに
平成の30年間日本経済の世界的プレゼンスは一貫して低下してきました。その原因は人々のクリエイティビティを柱とした創造経済の時代に突入したにもかかわらず、相変わらず昔通りの大量生産製造業モデルを前提とした、社会システムを温存し必要なイノベーションを怠ってきたからです。
鳥取大学地域学部教員が中心となって執筆した『アートがひらく地域のこれから――クリエイティビティを生かす社会へ』(ミネルヴァ書房、2019年3月)はクリエイティビティを基軸とした地域の再創造、教育改革、社会システムのイノベーション等について理論と実践の両面からアプローチした野心作です。この詳論では本書からエッセンスを抜粋し紹介します。
日本経済の衰退と創造経済
日本経済の衰退が止まりません。時価総額で見た過去30年間の世界企業ランキングで1989年にはトップ10中7社を占めていた日本企業は、2019年には1社もありません(トヨタの43位が最高)。スイスのシンクタンクIMDによる国際競争力調査によれば、1989年から5年連続首位を占めていた日本は2019年には30位に転落しています。
なぜこのようなことになったのでしょう。それは、日本がIT化を起点とする産業構造変化への対応が不十分で既存産業の既得権益調整に終始してきたこと、さらに先端技術を社会に活かし次世代を構想する政策立案課程において創造的思考が欠如していた、ということではないでしょうか。
現在の世界のトップ10企業中7社がIT系となっています。その牽引役を果たしているのがGAFAです。GAFAは既存のビジネスモデルを破戒、全く新しいビジネススタイルを確立するためカテゴリーキラーと呼ばれます。
今後、AIとビッグデータをどのように活用してビジネスモデルを刷新していくかが、あらゆる分野の企業の存亡をにぎると言われています。そこで最も求められるのが人の創造力です。これらの先端技術を活用してどのような新たな事業やサービスを考え出すかは優れて創造的で革新的な発想力に依存するからです。
20世紀後半以降盛んに喧伝されたのが「知識社会」「知識経済」でした。大量生産時代の終焉を「脱工業化」ととらえ将来の社会では「知的財産」の創造と活用が鍵になるという議論です。
例えば、ピーター・ドラッカーは「経済の基礎となる資源は、資本、天然資源、労働ではなく、知識である」と言っています。しかし、創造都市論を提唱するチャールズ・ランドリーによれば、知識や情報は創造性の道具や材料に過ぎず、現代経済の本質は、「知識経済」ではなく「創造経済」であると指摘しています。
そして、ここが重要なのですが、創造経済を構成するのは知的財産を生み出す産業群、アート、デザイン、科学技術、メディア産業といったクリエイティブな領域とされます。科学技術研究やアート、デザインなどを同じクリエイティブ産業としてとらえて振興しようという新しい視点が打ち出されています。
創造性こそ新時代の経済のエンジンというのが創造経済の考え方です。これは1997年のイギリス政府が正式に政策として採用したことから、それ以降世界中に広まっていくことになります(詳しくは拙著『文化政策の展開』を参照)。
創造的人材育成の必要性
AIやIoT(モノのインターネット)など情報通信技術やロボット技術の進展によりいまの仕事の半分は将来なくなると言われている。しかし、そこにあってもマネジメント、クリエイティブ、ホスピタリティは人が担っていくのではないかと考えられています(井上智洋『人工知能と経済の未来』)。
そこで、クリエイティビティについて教育課程との関係から現状を考えてみます。
現在の教育制度や教育内容=学校というシステムは,標準化・画一化といった工業の原則に則って作られているため,そのアウトプット(卒業生)は,画一的な非創造的で没個性的になる傾向があります。
現代のクリエイティブ経済には対応できていません。このことを分かりやすく紹介しているのが、世界中で最も良く視聴されたTEDトークの一つケン・ロビンソンの「学校は創造性を殺している」です。
このような傾向は日本で一段と強いようです。ソフトハウスのアドビが日本、アメリカ、イギリス、ドイツ、カナダを対象に中高生の自己認識についてたずねた調査(2017)では、各国とも30%から40%の若者が自分のことを「創造的」だと認識しているに対し、日本では8%と極端に低くなっています。
さらに彼らの先生たちにも同じ質問をしたところ、各国とも20%から30%とZ世代より低い数字が並びます。ここでは日本はたった2%と突出して低い数字となっており、日本の学校現場のアンクリエイティブな様子がうかがわれます。
インターネットで何でも調べられる時代に一体教師は何を教えればいいのでしょうか。否これまでのように教えてはいけないのです。そうではなくて、子どもや若者たちが抱く内発的・自発的問題意識に寄り添いながら、それらを伸ばしてくことがこれからの教育の方向となります。
このような教育観の転換は国の教育政策にも反映され始めています。文科省は大学入試改革の議論のなかで、「グローバル化の進展や人工知能技術をはじめとする技術革新などに伴い、社会構造も急速に、かつ大きく変革しており、予見の困難な時代の中で新たな価値を創造していく力を育てることが必要です。」と不透明な時代における個々人が新たな価値創造を担っていくクリエイティブ力の重要性を指摘しています。
移住者の増加と新しい価値観の誕生
次にクリエイティブ活動の場が、従来の都市部だけでなく、地方にも広がり始めていることを移住との関係で考えます。若者の県外流出などのため鳥取県の人口減少には歯止めがかかりません。
一方で鳥取県への移住者は毎年増加しており、2018年度は2,157人が県外から移住しました。そして移住者の68.5%が30代以下で、半数がIターンとなっています(鳥取県ふるさと人口政策課)。
ちなみに合計特殊出生率(1人の女性が一生で産む子どもの数)は、都市部ほど小さく地方ほど大きくなる傾向があります。例えば最低の東京では1.2ですが、最高の沖縄は1.9となっています。
ちなみに鳥取は1.61(いずれも2018年、厚生労働省「人口動態統計」)。ここから若者世代の都市部から地方への移住は潜在的に子どもを増やすことに繋がる可能性を秘めているといえます。
筆者は、以前鳥取県へ移住してきた若者のインタビュー調査を行いました。そこから見えてきた移住者に共通する傾向とは何か。
地方に多い空き家をDIYで改修し自分好みの居住空間を作る、食料の自給や贈与、交換といったあまりお金を必要としない生活(非貨幣経済)、自分のスキルを活かしながら都市部との間で行うテレワークや地域の季節的、時限的な仕事を複数組み合わせながら収入を得る「半農半X」的な働き方(その際重要な役割を果たすのが、ソーシャルメディア)といった姿が見えてきました。
このような田舎へ移住する若者に共通する価値観は3つのSで表せます。モノやサービスといった財を所有するのではなく共有する(SHARE)、コミュニケーションツールとしてのSNS(SOCIAL MEDIA)、地域の人間関係の重視(SOCIAL CAPITAL)です。
彼らの多くは、仕事としてのデザイン、新たなコミュニティの形成、フェスなどイベントの企画開催、など何らかのかたちでクリエイティブ活動を行っています。そこには金融資本主義が生み出した都市文化とはひと味違うハンズオンで新しい価値を創造する魅力があります。
例えば、『アートがひらく地域のこれから』では鳥取市まちなかの廃病院を活用して展開されているアートプロジェクト「ホスピテイル」が紹介されています。
都市部においてこのような取り組みは成立しません。地価の高い中心市街地で収益性の低いアートプロジェクトは、経済の法則からして成立しないからです。中心市街地であっても開発の見込みがなく地価が下がり続ける地方都市だからこそ成立するのです。
ホスピテイルのような取り組みが全県的にひろがり、遊休スペースで様々なクリエイティブ人材が創造活動を行うこと、『クリエイティブ・トットリ』が実現することを夢見ています。
プロフィール
氏名:野田邦弘
所属:鳥取大学地域学部特命教授(文化政策、創造都市論)
経歴:早稲田大学政治経済学部卒業。2004年までは横浜市職員としてコンテンポラリーダンスフェスティバル「ヨコハマアートウェーブ’89」の企画制作など文化行政に携わる。2003年には新設された文化芸術都市創造事業本部創造都市推進課の初代担当課長に就任し、横浜の旧市街地再生に向けた都市政策「クリエイティブシティ・ヨコハマ」の策定を担当し、港湾地区の歴史的建築物を活用したアートプロジェクト「BankART1929」の立ち上げなどに関わる。2004年には横浜トリエンナーレ2005の担当課長として同事業を準備した。鳥取の中心市街地でアートプロジェクト「ホスピテイル」に取り組む。
委員等:文化経済学会理事(元理事長)
日本文化政策学会理事
文化庁文化芸術創造都市推進事業審査委員
茅ヶ崎市文化生涯学習プラン推進委員長
鳥取県文化芸術振興審議会会長
鳥取県地方自治研究センター理事長などを兼任
著作:『文化政策の展開』(学芸出版社、2014年)
『創造農村』(共著、学芸出版社、2014年)
『地域学入門』(共著、ミネルヴァ書房、2011年)
『創造都市横浜の戦略』(学芸出版社、2008年)
『入門文化政策』(共著、ミネルヴァ書房、2008年)
『創造都市への展望』(共著、学芸出版社、2007年)など。