地域のプレイヤー

文学から読み解く「アフターコロナの世界観」|安川幸男

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14世紀あるいは2020年

 僕たちは現在(いま)、危機的な状況に置かれている。解ってはいるが、疫病のリアリティを鋭い触覚で触れるというよりは、「メディア空間に漂う無数の言説に感染する」という意味で、少々食傷気味に日々デストピアの物語を紡がれている状態だ。

 それはインフォデミックとして、真偽ない交ぜになった情報が拡散し、人の脳や心を情報感染させる装置にもなっている。

 暗黒のメタファーではないが、14世紀に中世イタリアから発生したペスト(黒死病)は当時の欧州の人口を1/3にまで貶めた疫病であり、昨日まで信じていた社会秩序や構造、そして何よりも中世の「神の絶対的な世界」を土台から震撼させたエポックメーキングな事件であったという意味では、COVID-19とパラレルに語られる事象となる。

ボッカチオ「デカメロン」

 ペストの猛威がヨーロッパ各都市を襲う。コンスタンティノープル、ヴェネツィア、そしてフィレンツェと地中海沿岸を舐めるように風魔のごとくペスト菌が拡がっていく。この渦中でペストにより父親を亡くしたボッカチオは、しかし、「デカメロン」を構想する。

 その前書きには、当時の陰惨な状況が垣間見える。

 『一日に数千人もが発病しました。誰も介抱してくれず、なんの助けもありません。救いの道は閉ざされたのも同然です。みんな死にました。昼も夜もです。』

 「デカメロン」とは、10の物語を10段階にわたって煉瓦のように積み上げていく独特の編集術(フレーム)だ。彼が同じトスカーナ人のダンテ「神曲」を意識して紡いだ物語は、ペストから逃れフィレンツェ郊外の屋敷で10人の男女が退屈しのぎに一日に10話ずつ、10日かけて100話が語られる。

 話の内容は当時としてはかなり過激で、艶やかな色を含む、不謹慎で残酷なストーリーが語られる。それは陰鬱なペスト禍での社会的アンニュイを払拭するべく、奔放な人間の生命力を謳歌するルサンチマン(憤り)であった。

 そしてこの人間的な生命力はイタリア・ルネサンスの光へと昇華していく。黒死病という闇が深ければ深いほど、人間は新たな光明を求めて精神的な彷徨を重ねていく

カミュ「不条理の哲学」

 「私は地中海をこよなく愛した」フランスの歴史学者、フェルナン・ブローデル。20世紀歴史学の金字塔である「地中海」は西欧、アジア、アフリカを包括する文明の総体というシステムを描いた。

 この青い世界で物語は、フランス領アルジェリアの港町オランでのネズミの大量死という「奇妙な事件」から紡がれていく。それがアルベール・カミュ「ペスト」の序幕だ。

 『ペストという、未来も、移動も、議論も消し去ってしまうものを、どうして考えることができたであろうか。人々は自分が自由だと信じていたが、天災が存在するかぎり、誰も自由にはなれないのだ』

 オランの人口は20万。鳥取市と同じ規模のこの町が完全にロックダウン(閉鎖)され、閉じ込められた究極のハードな空間でこの疫病と戦う人々の、刻一刻と変わる行動と心理常態。そして孤独。

 パンデミック群像劇の描写のなかに、今のコロナの状況や世界を裸で直視している私たちには既視感を通り越し、皮膚感覚で灼けるリアルを映し出す。

 この作品はヒューマニズム的な人間賛歌でも、シンプルなヒロイズムでもなく、単調に乾いた逼迫した現実(神の存在さえ脆弱になる)と、感情さえ消されていくなかで人間の行動と死との戦いが心理的ドラマとして描かれる。

 『僕たちはみんなペストのなかにいる』

 『誰でもこいつを自分のなかに持っている』

 生存をおびやかす不条理はCOVID-19とつながり、この物語が描く予言的なリアリティは今後の社会システムを考え、構想していく上でも糧になる。

  そして人類が、何度も何度も直面してきた疫病との戦いを歴史や文学で反芻し、同じ呼吸リズムで追体験することで、「アフターコロナの世界観を描くこと」が僕たちに課せられた責任かもしれない。

 アフターコロナの景色は変わる。

 そしてもしかしたら、これからの世界は「With COVID-19」だと言えるかもしれない。

参考文献

「デカメロン」 著者:ボッカチオ 河出文庫(2017)

「ペスト」 著者:アルベール・カミュ 訳:宮崎嶺雄 新潮文庫(1969)

「疫病と世界史」 著者:ウィリアム・H・マクニール 佐々木 昭夫訳 中公文庫(2007)

プロフィール

安川 幸男

所属:合同会社イキナセカイ代表、神戸大学客員教授

経歴:1970年東京生まれ。Iターン移住者。出版・メディア業界を経て、ビジネスプロデューサー職で株式会社NTTデータへ。社内ベンチャー立ち上げ等を経て、NTT持株にてグループのコンテンツ戦略を推進後、NTTドコモにて東京大学とオンライン教育に関する共同研究など、15年間NTTグループにて新規事業開発に従事。46で生き方を考え、地方暮らしを選択して鳥取へ移住し、鳥取県庁へ入庁。商工労働部にて起業家支援を推進後、鳥取銀行へ。地方創生、ベンチャー型事業承継、産学連携プロジェクトを経て、2020年4月に独立し、現在は教育(大学客員)、中小企業支援、地域創生、人材育成、リベラルアーツと分野を越境したローカルでのビジネスプロデュースを推進。

メールアドレス y.yasukawa23@gmail.com

フェイスブック yukio.yasukawa.5

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